筑波卒業後の進路

筑波卒業後の進路

 

 筑波大学大学院での院生生活も後半戦になると、学位論文のためにデータをまとめたり、学位取得要件であった投稿論文をまとめたりと、それまでとは気分が違ってきました。特に、4年生や5年生になると、自分の研究のことばかりではなく、卒業後のことも考えなければならなくなってきます。卒業後の進路については、大学院生にとって頭の痛い問題だろうと思います。まあ、卒業してすぐに、研究職としてのポジションを得られる人も中にはいるのかもしれませんが、最近でもたびたび報道されることもあるように、日本では大学院を終えた若い研究者が、博士課程を終えたばかりの研究者(英語でポストドクトラル・フェロー、略してポスドク)として武者修行することができるような、経済的なサポートは充実していませんでしたし、そのような機会を提供できるような、大学をはじめとする研究機関もあまりなかったと思います。あったとしても、ものすごく狭き門だったでしょうし、私のようにレールから外れてしまった大学院生には、日本においてポスドクとしての経済的なサポートを得る希望はまったくありませんでした。なので、若手の研究者に対するサポートが充実していた、アメリカをはじめとする海外でのポスドクのポジションを探さなければなりませんでした。

 

 今もその傾向は続いているのかもしれませんが、当時の殺虫剤抵抗性の研究は、例えば、抵抗性遺伝子の解析や、抵抗性のメカニズムを分子的に探究することなどが主流であったと思います。私が筑波大学で行ってきたような、自然集団における抵抗性の遺伝的変異のダイナミクスなどといったことを研究のテーマにしている研究室は、日本にはまったくありませんでしたし、世界でもあまりなかったと思います。なので、もし私が抵抗性の研究を続けたければ、当時も今も研究の主流であろう殺虫剤抵抗性の分子遺伝学的な研究の領域に入っていくか、さもなければ、抵抗性の研究を離れて、抵抗性との絡みで研究してきたことを、さらに深く探求していくこと、この2通りの道があったのだろうと思います。

 

 殺虫剤抵抗性の分子遺伝学的な研究については、私はどうしても、何百万円、何千万円という大金をかけて、遺伝子の塩基配列がAからGに変わったことを見出して、それで満足しているようにみえた、千葉大学大学院在学中から感じてきた抵抗性研究に対する不満があったので、抵抗性の分子遺伝学の領域に足を踏み入れる気にはとてもなれませんでした。塩基配列がAからGに変わったことがわかったところで、実際に農業をしている農家の人にとってそれが何かの役に立つとは思えなかったためです。そんなに大金をかけなくても、もっとチープな方法で得られる、農家の人が必要としている有用な知見はいっぱいあるだろうと思っていました。まあ、研究者が好きでやっているのだからそれでいいのかもしれませんが、でも、遺伝子をいじくってそれで満足してしまっているように私には見えました。さらに言えば、遺伝子を分析するのにかかる費用が莫大であることを鼻にかけ、あまりお金がかからない研究をチープだなどとバカにするような人もいたりして、殺虫剤抵抗性研究におけるこの風潮が、私にはどうにも馴染むことができませんでした。千葉大学園芸学部のときに、“農学栄えて農業廃る”という言葉を教えていただいたように記憶していますが、まあ、そんなところだったのだろうと思います。ということで、殺虫剤抵抗性からは直接は離れることになりますが、抵抗性との関わりで研究してきたことをさらに深く探求するというほうの道に進むことにしました。