翻訳作業 40日目
本日は、次の段落に進みます。私が介護職として高齢者施設で勤務していた時に感じた違和感を記述しているのですが、私は本文の中で以下のように述べています。
結局、介護を必要としている高齢者にとって何が必要であるか、どういう生活を送りたいか、そういった“生活者”としての高齢者という視点が、現在の介護保険制度には全く欠けていると思いました。同時に、それは恐らく制度としては実現することはできない、理想論にすぎないということも、あるいは真実なのかもしれません。わずかばかりの期間ではありますが、私が介護職として勤務し、その体験を通して見えてきたこと、感じたことは、「国民は仕事が忙しくて、年老いた親の面倒なんてみんなみている暇はないでしょう。国としては、老人を一カ所に集めておいてテレビでも観させておきますから、国民の皆様は安心して一生懸命働いていてください」ということなのだろうと思います。でもそんなので幸せになれると、本当にみんなは考えているのでしょうか?(三代、2021、p. 14)
今回は、特に「生活者」という単語の英訳で苦労しました。比較的何も考えずに日本語で「生活者」という単語を用いてしまいましたが、適切な英単語もみつからなかったので、英訳するにあたって、改めてこの単語の私なりの定義を明確にする必要がありました。そのようなことで試行錯誤しつつ、以下のように英訳しました。
After all, I believe that the current long-term care insurance system is completely lacking in the perspective of the elderly as “individuals living their lives,” such as what they need and what kind of life they would like to lead. At the same time, it may be true that it is just an ideal theory which is probably not possible to realize as a system. Although it was only for a short period of time, I worked as a caregiver at some elderly care facilities. The message regarding the fundamental concept behind the long-term care insurance system I have received through my caregiver experience is as follows: "People in this country are so busy with work that they don't have time to take care of their own elderly parents. The government will gather the elderly in one place and let them keep watching TV, so please feel at ease and work hard." However, do people really think of such elderly care as leading to our happiness?
今後、いろいろと議論していければいいと思うのですが、私が高齢者介護の問題がこれだけ大事だと思っている理由は、簡単にまとめると、これまでの節で書かれていることが根本にあると思います。将来自分が年老いて介護が必要になった時に、このような生活が待っているとしたら、どうして今現在を一生懸命になって生きていくことができるのか、将来苦しむことになるのならば、なぜ今現在苦しみながら懸命に生きなければならないのか、おそらく普通に考えれば、納得がいかないことなのではないかと思います。言ってみれば、将来苦しむために今現在を一生懸命になって生きているのであり、なんのために一生懸命になって今現在を頑張っているのか、私などはわからなくなってしまいます。今後議論していければと思います。