翻訳作業 後期第1日目

翻訳作業 後期第1日目

 

これまで、私も研究という領域の中で生きてきましたが、もちろん批判や叱責のようなものを、たくさんいただいてきました。私自身、人とフランクに話ができるような性格ではありませんし、また口下手ということもあり、多くの誤解を受けてきたことと思います。ただ、一言言わせていただくことができるならば、これまでいただいてきたご批判の多くは、全く的外れであったり、ただの言いがかりでしかないことが多かったと思います。なかには、私の論文や著書をまったく読んでさえいないのに、批判だけするだけして、こちらに質問さえしてこない人もなかにはいたのではないかと思います。そのような場合には、私もなんとも答えようがないので、ただ通り過ぎるのをじっと我慢して耐えるよりほかありませんでしたが、まあ人生の半分を折り返した今、コロナウィルス感染症やコロナワクチン接種後の体調不良などのことがありますので、あと何年間生きられるか正直わかりません。ただ、インターネットやSNSなどのような手段が身近に使えるようになったこともあり、あまり我慢せずに言わなければならないことは、こちらからも発信していかなければと思うようになりました。自分のこれまでの研究について、できるだけわかりやすく説明したものを残しておきたいと思ったのは、このような経緯があるわけです。できれば、世界中の方々とアイデアを共有したいと思うので、これまでの著作を、できる限り英訳していきたいと考えています。A4用紙にして大体7~800ページ近くまだあるので、まあ、あと5年くらいかかりそうですが、ちょっとしたプロジェクトになると思います。何しろアルバイトをしながら一人で作業をしているので、時間ばかりかかってしまいますが、どうか皆様には楽しみにお待ちいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

 

『高齢者介護の進化遺伝学 なぜ私たちは年老いた親を介護するのか?』の英訳版については、これまで第4章まで進みました。図表など、まだ細かいところは山積しているので、まだまだ時間はかかりますが、これから第5章の本文に進んでいきたいと思います。これまでのモデルを用いた研究の結果に基づいて、これからの高齢者介護について、考察を行っている章になります。まず最初の段落から始めたいと思います。私は本文の中で以下のように述べています。

 

第5章 今後に向けて

 

これまでを振り返る

これまで大学院生や研究員として進化遺伝学を背景に研究してきた私が、なぜ高齢者介護という問題に首を突っ込むようになり、それから以後介護職として実際に高齢者介護の現場に身を置きながら、高齢者介護を進化遺伝学的に研究してきたのかを、自分自身の回想を交えながら、これまで発表してきた自分の論文をできるだけわかりやすく解説するという試みとともに説明してきました。自分の意図や考えを、自分が考えている通りに相手に理解してもらうことは、とても難しいことだと改めて感じました。そもそもみんなの間にコンセンサスがなく、容易に誤解されやすいテーマであるということもあるでしょうし、意図的に曲解されることもあるのではないかと思います。そのような場合に、相手に対してどのように説明することができるのか、これは研究と称する活動を行っている以上、絶えず努力していかなければならないところなのかもしれません。(本文 p. 119より)

 

今回も、Google翻訳を主要翻訳マシンとして活用し、ChatGPTによって出力されてきた英文を、参考のために活用してきました。1ページあたり1時間かからないくらいで英訳することができるようになってきたので、学習塾での時間講師のアルバイトの準備をしながらでも、なんとか翻訳作業を継続することができています。以下のような英訳を得ることができました。

 

Chapter 5 Toward Our Future

 

Looking back on so far

I have explained thus far why I became involved in the issue of elderly care and why I after that have conducted research on elderly care from the evolutionary genetic perspective while I actually worked at nursing care facilities as a care-worker. I have also shared some personal reminiscences, along with my efforts to present my published papers in an easily understandable manner. Once again, I came to realize that conveying my intentions and ideas precisely as I envision is an exceedingly challenging task. In the first place, not everyone shares the same consensus, making it a subject prone to misunderstanding. Furthermore, I feel frequently that there are cases where it was intentionally misinterpreted. In such cases, how to explain effectively to others may be the challenge that I have to constantly strive for since I am engaged in activities called research.

 

またいつの日か、海外の方々と話し合うことができればいいなあと思っています。誰かの目に触れて、それがきっかけで、何かが生まれたら、これ以上のことはないと思います。そんな時が来ることを楽しみにしています。ご批判などございましたら、お寄せいただければ幸いです。  三代